『それで、今後の処置だけど……』

野郎が十代目を継ぐことが正式に発表されてから、三日三晩を経た月夜。

ヴァリアーのボスであるXANXUSとボンゴレ十代目の極秘会談が催された。

といっても、二人きりなどという状況になるわけがなく、九代目、門外顧問、奴の家庭教師、守護者の一部が同席しての会だった。

もちろん、俺もその場に居合わせていて。

『っと…あんまり遅くなってもいけないんだっけ。書類で済ませられることは、後々ってこと、だったよね?』

そうだぞ、と助言を施す家庭教師をぼんやりと視界に収めながら、未だ独り立ちしきっていない十代目に想いをはせる。

こんなことで大丈夫なのか。

いくらか修羅場を経験したとはいえ、まだまだ子供。

酸いも甘いも噛み分けられないガキに、ボンゴレの歴史が背負えるものか。

俺は、半信半疑もいいところだった。

『おいカス』

『………ぶっ!う゛お゛ぉい!んなとこでグラス投げてくんなよぉ!』

『何時だ』

『ああ!?』

『何時だと訊いている』

もう一撃食らわせてやろうか、と十代目のために用意されたグラスにさえ手を伸ばそうとするボス。

それは勘弁願いたい、と俺は慌てて内ポケットをまさぐった。

ボスの眉間に寄っている皺が思いのほか深い。

会が会だ。仕方が無い。

未だ隔たりの浅くはない関係だ。

数年を経て変わったのは、主に俺で……瞬時の諦めというものを学んだ。

ボスに関することに限り。

『……午前零時、三分。そろそろ時間じゃねえのかぁ?』

『ああ。……言いたいことはそれだけか、カス』

相変わらずのカス呼びに対し、嫌悪的な反応を示す守護者を抑止しながら、十代目が苦笑で返す。

『うん。わざわざありがとう…XANXUS』

『ふん』

礼を言われ、まんざらでもないように鼻を鳴らすボスを見遣って溜息をひとつ。

……今夜は穏やかな睡眠を得ることができない。

未だ減ることのない敵対組織に関する任務が、みっちりと詰まっているからだ。

パチン、と音を立てながら、懐中時計の蓋を閉じる。

『……スクアーロ、それ……』

『ん?』

『なんか、カッコイイね、その時計』

ガキのように目をキラキラさせて、俺の方へと顔を向ける十代目。

……ああ、視線が痛いぜぇ……あいつを取り巻く連中の、嫉妬という名の刺激がなぁ。

『いいなぁ、それ。ちょっとだけ見せてもらってもいい?』

『……おう』

見たけりゃ見ろ、という風に、無邪気に寄ってきた十代目へと鎖に繋がれた懐中時計をぶらつかせる。

折り合いの付いた会談は、とりあえず終わりらしい。

『腕時計もいいけど、こういう…懐中時計、だっけ?これもいいよね。カッコイイ』

『そうかぁ?携帯するにはやっぱり腕時計のが便利だろぉ』

手を出させて時計を乗っけてやると、嬉々として弄り始めた。

まあ、そんなに死ぬほど大切にしてきた物、というわけでもないから別段構いはしないが…。

『でも腕時計だと巻いてるところが蒸れたりするし……嵩張るけど見た目はこっちの方が、俺は好みかな。…………アレ?』

『……?』

チャリ、という涼やかな音色を響かせて、鎖を掌に流した十代目がふと手を止めた。

キョトンと見開かれた目が、俺を見上げる。

『この鎖の部分……なんか、違う?』

『…ああ、それは……』

手が止まったのは、鎖の付け根。

幹と鎖を繋ぐ留め具の部分を指先がなぞっている。

白く、ツルツルとした光沢でもって重荷を繋ぐさりげないそれに、目ざとく気付いてみせるとは。

『……それは、骨だ』

『骨?』

首を傾げながら鎖を流す奴の手から、それを音も無く奪い返しながら、俺はわずかに目を伏せた。

『鮫の、な』

感傷ではない。

感慨でもない。

ただ単に……ふと懐かしくなっただけだ。

戒めにも似た、硬質な束縛。

それは、俺を今に繋ぎ止める鍵のような……そんな、くだらない。けれど、尊い…。

『鮫、って……もしかして、あの…』

『…お前の考えてることはなんとなく読めるが、見当はずれもいいところだぜぇ』

それは、どう考えても不可能だろう。

あの時の鮫が、あの後にどう処理されたかなんて、俺が知るはずもない。

俺が鮫の口から引っ張り出された後、奴を処理したのはキャバッローネか、はたまたチェルベッロか。

それすら把握していないのだから。

……思えば、随分と滑稽な真似をしているな、と、思う。

こんなもので……擬似的な象徴で自身を繋ぎとめるだなどと。

戒める、などと。

『………スクアーロ』

『笑いたきゃ笑えよ。こんなもん……あってもなくても、忘れやしねえってのになぁ……』

ああ、視界の端で「まったくだ」とボスが鼻で笑いやがった。

くっそ……反論できない立場が憎い。







『笑わないよ』







鼓膜から脳へ、脳から心臓へ。

刹那の間に些細な電流が体内を駆ける。

『……!』

『笑わない』

ふと視線を野郎に戻せば……至極真剣な瞳とかち合ってしまった。

目が…逸らせない。

『ねえ、スクアーロ。ひとつ、俺と約束しよう?』

まっすぐに、怯えもなく見つめてくる視線の強さは……俺の背筋をぞくりと撫でた。

とてもとても好ましい、強く、気高い、孤高の意志の成せる技。

強いものは、好ましい。

『俺は…まだまだ全然頼りない。へなちょこで、ガキっぽくて、ボンゴレを取りまとめるなんて大げさなこと、できっこないって、思ってる』

この期に及んで……毅然とした態度で尚、野郎はボンゴレを継ぐことに消極的なのか。

『だけど』

ひとつ瞬きをして、ボンゴレ十代目は……うっそりと、微笑んでみせた。

『精一杯、俺のできることをしようと思う。皆に…スクアーロに、十代目として認められていないとしても、一人の人間としては、ちゃんと認めてもらえるように。…だから』

俺は、息を注ぐのもやっとで。

知らず知らずの間に、目を眇めていた。

眩しいものを、捉えるように。

それでも、しかと刻まなければ、記憶に焼き付けねば、と願うように。

『だから、いつかスクアーロが………』







「スクアーロ!」

「…………なんだぁ」

走馬灯がぶった切られる。

記憶の中と寸分違わぬ、俺の名を呼ぶ声音によって。

「スクアーロ!よかった……起きた…!」

「だぁから大丈夫っつったろ?そいつは曲りなりにもヴァリアーだぜ。足の骨が砕けて、頭部に激しい衝撃受けて、昏睡状態に陥ろうと、そう簡単には死にゃしねえんだよ」

いや、それは普通に死ぬ。

「ったく…第一、俺は男は診ねえって言ってんのに……」

……なるほど。こいつか。

目覚めたばかりでいまいち状況を把握しきれていなかったが、たったひとつの発言で、視界の端をひらひらと行き来するくたびれた白衣の持ち主を知る。

とんだ藪にして名医を呼んでくれたもんだ。

「ああもういいからちょっと診てよ!本当にスクアーロ大丈夫なの!?」

「大丈夫だよ。あと一日、目が覚めなかったらヤバイところだったけど」

「それめちゃくちゃ危なかったんじゃん!!」

両目をカッと見開き歯を剥いてシャマルの首元へと掴みかかるそいつ……ボンゴレ十代目、沢田綱吉の顔色は至極悪い。

まるで疲労の蓄積によってボロボロになってしまったかのように。

肌にハリがない。

血色のよい唇もカサカサで、皮が所々逆立っている。

髪もボサボサで……って、これはいつものことか。

「ああもういいよ!帰れ帰れ!!」

「ははは。やっとかよー。三日三晩付き合わされたんだから、それなりの報酬は請求させてもらうぜ?」

「勝手にしてよ……はぁ……」

背を向けたシャマルはひらひらと手を振りながら、扉の向こう側へと姿を消した。

パタン、という乾いた木の音が室内に波紋を広げる。

気配が去ったのを見計らって、俺はひとつ息の塊を吐き出した。

深く深く根を下ろすように吐き出された吐息によって、綱吉の視線が俺へと注がれる。

「……折れたのは、足だけ、かぁ?」

「う、うん…外傷はそれだけ。奇跡だって言ってたよ」

シャマル以外の、医者が。

話によると、四階から落下した綱吉を受け止めた俺は結局、重力と加速による加重に耐え切れず体勢を崩したのだそうな。

受身を取りつつ衝撃を逃がすも、崩れた膝のおかげでポキンと足首と脛骨をやってしまったらしい。

らしい、というのは自分じゃ確認なんてできないからだ。

既に手術を施されガッチガチにギプスで固められてしまった足では、どの骨が折れただなんて把握できようはずもない。

痺れるような痛みをわずかに感じるから、ケガを負ったということはわかるのだが。

「他に外傷が見当たらないのが、奇跡、っていうか不気味だって、言ってた…」

普通なら腕だって腰だって、とにかくいたるところ折れまくって、重傷の重体でもおかしくない状況なのに、って。

おそらくまず駆けつけたのが屋敷に常駐している宿直医だったのだろう。

ヴァリアー舐めんな。

などと悪態をついてみたとしても、結局は「災い転じて」というやつだろう。

運がよかったのだ。

それに。

「まあ…俺は打たれ慣れてるからなぁ……」

などと自分で言ってうちひしがれる辺り、まだ脳にちゃんと酸素が回っていないのだろうか。



「……お前は?」

「え?」

「お前は、ケガなかったのかぁ?」

「あ、うん!それが一番すごいことだって。でも、他の皆は『当然だ』なんて言ってたけど」

当然……当然といえば、当然か。

俺の能力を信じて、などという珍妙な言でないことは、何を聞かなくともわかる。

ヴァリアーはボンゴレの一部。

ドンの身を死守することが第一優先なのは当然のこと、の、『当然』だろう。

…それに、俺は……それ以上に……。

「ごめん、スクアーロ。俺があの時、あんなことしてなければ……」

「そのとおりだぜぇ。どんくせえんだから手すりに乗っかって前のめりになるな」

嫌味を含むような物言いと反するように、ふと湧いてくる笑みは、止められない。

お前を守りとおしてみせたのだという事実が、何故だか優越感をもたらすのだ。

しゅんとうな垂れる綱吉の有様も、俺の笑みを誘う。

「これに懲りたら、自分の力量くらい測れるようになることだ。次も無傷って保障はねえんだからなぁ」

なんとか上半身を起こしてみると、察した綱吉が慌てた様子で傍近くにあった大きめのクッションを腰元へと入れてくる。

ベッドのすぐ傍で傾く頭。

「それに……せっかくのてめえのバースデーを、命日にしたくはないだろぉ?」

無意識のうちに手を伸ばし、気付いた時には、柔らかくもしっかりとした弾力をもつ髪が指の股を擽っていた。

くしゃくしゃとかき混ぜてやれば、当の綱吉はぴくりと肩を震わせるも、嫌がる気配はみせないようで。

ああ、何をしているのやら。

自分で自分の行動も制御できないのかと、俺の冷静な部分が溜息をついた。

「あ、あ、あの…そう、それ、なんだけど!」

ガバっと顔を上げた綱吉の頬がうっすら染まっているのは、気のせいだろうか。

「これ……本当に、俺がもらっても、いいの?」

チャリ、と聴きなれた耳障りのよい音が大気を揺らす。



「その金時計はボスがお前に贈ったものだろ」

「え、あ、ちがっ…!こっちじゃなくて!」

眼前に、そっと控えめに差し出された掌の中には、少し色あせた金の懐中時計が収まっていた。

それは、去年の今頃、懐柔された(本人は認めていないつもりらしいが…)我らのボスが綱吉のために造らせた特注品だ。

金額やら諸事情やらを綱吉に教えてやれば、おそらく卒倒してしまうのであろうからあえて伏せているのだが……相当値のはる代物だったと記憶している。

だがしかし、綱吉が今話題に上げたいのはそれではないだろう。

驕りでも矜持でもなく、眉間に薄っすらと皺を寄せる綱吉の様子から重々察することなど至極容易なことだから。

「俺が言いたいのは―――!」

「…あの時の約束を、覚えているか?」

綱吉の手から零れて垂れたそれを、そっと三つ指でなぞる。

間を置かず綱吉の掌へと到った指は、紐を繋ぐための幹を、慈しむようにゆっくりと撫でて。



「あの時お前が言ったこと。俺…いや、『スクアーロが過去のわだかまりすら自身に溶かしきれるほど、俺のことを認められる日が来たら、その時は』」

「『これを、俺に預けてくれませんか』……俺が言ったんだよ?忘れたことなんて、一日だってあるわけない」



硬質な真白の光沢を放つそれは、ちょうど歯の部分なのだと、職人が誇らしげに笑っていたのを思い出す。

硬く、鋭い、奴の最大の武器にして、最高の防具。

小さなその表面には更に細かい装飾と共に『squalo』と彫られている。

過去を消すことなどできない。

まして忘れることなど。

だが。

「くれてやる。いらなくなったら捨てちまえ」

「!…………うん」

一瞬、目を丸くして呆けた顔をしていた綱吉が、途端ふわりと微笑んだ。

うっすらと、俺の唇が弧を描く。

『預ける』のでは意味がないのだと、こいつが気付くわけもないと知りながら。

戒めを解くもかけるも、お前次第なのだということを。

命も魂もやれはしないが、生き様くらいはこいつに委ねてもいいと、思うから。

(勝手なことを言ってる自覚は、あるんだがな)

それでもこれが、俺の覚悟と転機だと、密かに刻んで。

気付かなくて、いい。

むしろ気付くな。

俺の存在まで、背負って欲しいとは、思わないから。







「あ、そうだそういえば!」

「ああ?」

両手で銀時計ごと鎖を握り締める綱吉が、ふいにベッドの端に手をついて身体を傾けてきやがった。

う゛お゛ぉい、不用意に近づくんじゃねえ!

「スクアーロ、サンタじゃないんだから物だけ置いてさっさと出ていくなんてずるいよ!」

「…はぁ?」

眉間に皺を寄せ、若干頬を膨らした綱吉は尚身体を寄せてくる。

おい、だから、ちょっと待て。

「……祝いに来てくれたんだよね?」

「はぁ?」

「俺の誕生を、祝いに来てくれたんだよねえ!?」

「あ、ああ」

細めた瞳に剣呑な光を宿しながら、綱吉が俺の胸元に手を当てる。

う゛お゛ぉい!ちょっおまっ!

前触れもなく触れるのは、反則じゃねえのかぁ!?

「だったら」

固まる俺の表情を知ってか知らずか、綱吉はその手に体重を掛けて……。

そしてそのまま……締め上げた。

「う゛、う゛お゛ぉおお!?」

「だったらちゃんと正面切って祝ってよ!パーティーにも来てくれなかったでしょ!」

それは、陰謀だ。

嫌がらせなのか、はたまた単なる気まぐれか。

……俺の変化を、超直感で悟ったのか。

よりによってお前を祝うための宴の日にぶち当たるよう、俺を長期任務に追いやったのは。

そんなことができるのは……あいつ、くらいなものだろう!

と、言えればどんなに楽だろうか。

俺が、綱吉に告げ口をしたなどと奴に知られれば…というか、奴の綱吉に対して張られている異常なほどの情報網や、便利で都合のよすぎる素晴らしい直感のおかげで、絶対知られてしまうに決まっているし。

そうなれば。

ああ、そうなれば。

……いくら丈夫な俺の身体とて、いつまでも持ちこたえられるという保障はない。

おい綱吉。

お前にも素晴らしい直感が備わっているだろう。

それで察してくれないか。

「まあ、スクアーロ仕事だったし……嫌われてるのかな、と思って諦めてたんだけど」

おいおいちょっと待て。その勘違いは勘弁してくれ。

「でも、約束覚えててくれて……日付は変わっちゃったけど、プレゼント持って来てくれたってことは、祝ってくれてる、ってことだよね?」

ああ…誤解は既に解けていたわけだ……が。

「だから!ちゃんと言ってよ!言うべきことをさ!」

う゛お゛ぉい!結局そこに戻るのかぁ!

あれだろ?祝いの言葉を述べろと言いたいんだろぉ?

いや、なんだ。

言ったんだぜ、ちゃんと。

……お前が寝ている隙に耳元で。

などと、これも言えるわけなどない!

そんな、こっ恥ずかしい真似をしたのだと告白するくらいなら、そこの窓から飛び降りて顎でも砕けて喋れなくなる方がよほどマシだと断言する。

あの時の俺はどうかしていたのだ。

深夜の異様なテンションは、恐ろしいのだ、綱吉よ。

「ねえ、聞いてるスクアーロ?ちょっと、なんで目そらすの。窓の外なんて見たって青空しか広がってませんよー!ほら!たった一言じゃん!」

だからと言って、わざわざ仕切りなおしてまともに言うのも今更で……とても恥ずかしい。

ハイになっていたからこそ言えたのだ。

……悔やむべきか。賞賛するべきか。何はともあれ、すごいなあの時の俺。



深夜の恥を想いながら、「そんなに、いや?」などと言って瞳を潤ませる綱吉の詰問から必死に顔をそむけつつ。

いつまで耐え切ることができるだろうかと、俺は服を掴んで離さない綱吉を意識しながらも、遠くない未来の俺を慰めた。



俺が折れて意を決するまで……きっと、あと数秒。







ミッドナイト・ハイ